熱学の科学・技術史研究




田中 明美 (日本女子大学)




 熱物性学会の会員の多くは研究活動の主軸を熱物性以外の学会に置きながら, 熱物性学会に関わっているとよく聞く.主軸云々はさておき,研究者が複数の学会に所属して研究活動する事は科学技術の発展に大いに有利に働く.私も,過去現在に様々な学会にお世話になった,あるいはなっている.実は3年前より,新しく技術史教育の専門の学会にお世話になっている.これまで,携わっている研究の背景として文献調査を中心とした歴史的検討はやってきたが,歴史研究となると少々趣は異なる.
 これは,生体系を扱う私の場合だが,研究対象が生体系と生体に関与する環境であるため,関わっている分野は工学,医学,理学,家政学等と多岐に亘っている.そして,多くの研究成果は個別的に積み上げられている.それらを統合的に議論して次の一手を決めて実験を進めるには,時系列で纏めて概観するのが分かりやすい.さらに生命現象は生体外部からのエネルギーや情報が出入り出来る開放系であり,“時間の矢”が存在する熱力学的方法論では適用に限界がある.ベルギーの化学者イリヤ・プリゴジン(I. Prigogine, 1917~2003)により開放系の熱力学が展開されたが,複雑な構造を持つ生体内では生物のシステムと結び付ける新しい数学モデルが必要と言われている.このような状況下では生体機能と関連した現象を扱っている研究報告は現在なお批判に晒されているものも少なくない.また,最近でこそME(Medical Engineering)分野が盛んになってきたが,分野間の垣根を越えられず論文として出版されていない研究成果もある.歴史研究はこれら正当な評価がされていない研究や,埋もれた研究,書簡のような個人的交流による資料からも,先人の思考回路を辿って行く.その結果,科学技術発展の重要な局面に働いた概念の個人的な部分に触れ,自己の研究の志向を客観的に見たり,新しい方向性を予見出来たりする.これこそ歴史研究の醍醐味であり,研究推進の原動力にもなり得る.どんな分野でも科学史や技術史研究は重要であるが,特に融合分野で研究を進める者にとっては有難く有効な方法の一つと思っている.
 また,熱物性学会員の皆様のよくご存じの熱学の歴史は,異なる分野の研究が互いに影響し合って,科学・技術が発展した事を物語っている.フーリエ(J. B. J. Fourier, 1768~1830)が展開した熱伝導理論において導かれた熱伝導方程式は,弦の振動に対して用いられたベルヌーイ(D. Bernoulli, 1700~1782)の方法を適用することにより解かれた.オーム(G. Ohm, 1787~1854)はフーリエの展開した熱伝導理論にヒントを得て,熱の流れの法則から電流の法則を類推した.熱伝導論はフィック(A. E. Fick, 1829~1901)の拡散理論にも通じて行った.熱伝導を記述する偏微分方程式は,フーリエ解析や超関数理論の発展の端緒となった.これらの歴史は異なる分野の融合の重要性を示している.冒頭の文章に戻るが,熱物性学会の会員は,他の様々な学会にも所属して活動している(熱物性シンポジウムに多くの協賛学会がある事からも分かる).工学,理学,家政学など様々な分野の研究者が集う熱物性学会は異分野間の横断的交流を活発に行っており,分野の融合が期待できる.融合の誕生や発展に,科学・技術史は有効なツールとして活用できる. 最後に,“力学”や“感覚の分析”等幅広い研究業績を残したマッハ(E. W. J. W. Mach, 1838~1916)の協力を賜る事にする.マッハは,熱力学,伝熱工学に関する書“熱学の諸原理”を著している.その中で,“歴史研究は科学教育の重要な一部分をなす.歴史研究を通じて概念の起源や変遷や衰亡を学び知ることにより,自己の意見を形成過程に沿って直視し点検し批判する術を身に付ける”と述べている.科学教育において歴史研究は,思考の自由さと強靭さを育むものと評価している.是非,若い会員の方々とも科学・技術史について語り合いたい.

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